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青葉台駅から徒歩数分、内科全般はもちろん内分泌代謝や糖尿病を専門的に診察してくれる、あらいクリニックがある。玄関先にはみかんの木が生い茂り、院内にはじゅうたんが敷かれ、ナチュラルで温かい雰囲気。程なくすると、院長の新井桂子先生が院内を案内してくれた。白衣は着用せずカジュアルなツーピースを身にまとい、気さくな会話で楽しませてくれる新井先生。「温かい感じにしたかったから」と、診察室のファブリックは花柄に、レントゲン室の壁には木漏れ日の壁画を施して。女性ならではの細やかな心配りが、ほっと心を和ませる。特に糖尿病の治療には力を入れており、2002年の開業と同時に糖尿病患者会「ひまわり」を発足させたり、2005年からは先生自らもホノルルマラソンに出場したりと、患者さんに寄り添った診療も人気のひとつ。そんな新井先生にお話を伺った。(取材日2007年3月22日)
お医者さんがいなければ生きていけないくらい、弱い子供でした
―まずは医師になろうと思われたきっかけからお話いただけますか?
小さいときは、非常に体が弱く、病気がちな子供だったんです。さんざんお医者さんのお世話になっていましたから、大きくなったらお医者さんになりたいとずっと思っていました。それから、父が心理学の研究者でしたから、私も大きくなったら研究者にもなりたいとも思っていました。少なくとも私が覚えている範囲では、7〜8歳には医者か研究者になると思っていましたね。おかげさまで今は健康、人生の中で一番元気(笑)。2005年からはホノルルマラソンにまで出場してしまうくらい体力がつきました。
―どんな学生時代を過ごされましたか?
弘前大学の医学部に入学し、その後は医局に入局しました。学生時代から約13年間弘前に住みましたが、非常にアットホームな街で学生を大事にしてくれました。医者になってからは、非常に厳しいトレーニングで、24時間365日の医療の特訓のような時代。地方の国立大学病院でしたし、専門の科以外や救急患者の外科的な処置など、オールマイティーにできなければならず、上司や患者さんにも叱咤激励され悲喜こもごもありましたが、内科医としての判断力養われましたし、弘前での経験は今の基盤になっています。
―内科の中でも、内分泌や糖尿病を専門にされた理由は?
最初は研究をやりたかったんですが、患者さんが目の前で治っていく過程や喜びを感じ、臨床も面白いなと思い始めたんです。その後アメリカに渡り、米国国立衛生研究所で、4年間内分泌や遺伝子の関係の仕事をして、英語の論文を何本も書き、研究としては世界の最先端を走ることができました。そして日本に帰り、糖尿病の臨床を始めました。みなさんダイエットするなら何キロカロリーを食べたら何キロカロリー消費すれば良いって判断しますよね、それがサイエンス、自然科学なんです。逆に、人というのは、アートなんですね。正しいことはわかっていても、その通りにやれないし、おやつが食べたいとか、人間には感情や欲がある、それがアートであり医学なんです。糖尿病というのは、サイエンスとアートの両方を併せ持ったもので、どちらもできなければ、治療が成り立たない。私の診断が正しくても、人間には食べる楽しみがあり、診断通りに患者さんが対応できなければ、治療したことにはならないんですね。そこに、難しさがあって、そこに面白さがあるんです。
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