


―大学卒業後は、どちらの病院に勤務されたのですか?
昭和大学の藤が丘病院で2年間レジデントという住み込みの勤務をしていました。面接に行ったときに「ここは24時間体制です。休みはありません」といわれ、まさにその通り。病院内に一室与えられて、そこで寝泊りをします。毎晩帰ってくるのは夜中の3、4時。お風呂は地下の霊安室の隣にあるんです。休日はあまりなく「3カ月ぶりに外へ出た」というような生活だったんですよ。勤務内容としては、"何でもみられる内科医を育てる"というコンセプトのもと、循環器、消化器、血液、呼吸器、内分泌、腎臓・・・すべての科をまわりました。何しろ臨床のできる医者を育てるという目的で、教授には将来世界的に有名になるような各科の著名人がついていたんです。結局そのなかで最後にまわったのが、今僕が専門としている内分泌代謝科なんです。今となってみれば、このレジデント勤務のお陰で内科すべてを網羅できたのでよかったんじゃないかなと思っています。
―内分泌代謝科に固定されてからは、どのような経緯で開業に至ったのですか?
もういちど一般の臨床を研究しようと思って、静岡県の聖隷浜松病院で勤務しました。医師不足だった関係で、そこでもいろいろな科を診ましたね。たとえば亡くなられた方の解剖まで全部ひとりで行ないました。その後は表参道にある伊藤病院で勤務し、それからまた昭和大学の藤が丘病院に戻って内科医局長を務め、平成元年にこちらに開業したという流れです。
―ご専門とされている内分泌代謝科には、どんな特徴があるのでしょうか?
まず、特定の臓器に限定せず身体全体を診る科ということ。たとえば糖尿病や甲状腺疾患などがあるんですが、そういった疾患の治療というのは、簡単にいうと身体の細胞ひとつひとつをピチピチ元気にさせるためのものなんです。癌のような大病を治す基本だって、そうして細胞を生き返らせることですから。とても重要な分野だと考えています。
―患者さんにとってどんな病院でありたいとお考えですか?
こういっちゃなんですけれど、体が本来もっている力に比べれば、医者のできることなんてたいしたことないんですよ。内科医は手術をするわけではないですし、崩れかけたところを元に戻してサポートしてあげるような部分が強いんです。だから、つらい状態で来た患者さんが僕の診療に納得してくれて、ほっとした顔で帰ってもらえるのが一番ですね。