
用賀駅から徒歩1分。1階にレストランが入っているビルの3階に、はしば矯正歯科はある。院長の橋場先生は、「美意識革命(女性のためのステップ・アップ歯列矯正)」「審美歯科に強くなる本」(坂本洋介共著)の著者であり、この歯科医院が雑誌に取り上げられることも少なくない。女性のための女性矯正医の集う「フリージアの会」主催者の1人でもあり、「アンチエイジング矯正」の提唱者。さらに年に数回は学会のために海外へ出張するというから、そのバイタリティには驚かされる。女性ならではの美意識と繊細な治療が評判の橋場先生にお話を伺った。(取材日2007年4月27日)
―先生の小さいときの話をお聞かせください。
小さいころは、色々とお稽古事に通っていたんですよ。長野県の田舎町で育ったんですが、ピアノとか日本舞踊とか、あとは母親がやっていた関係でお琴とかも習っていました。その他にもたくさん習い事をしましたが、なんでも無難にこなすタイプの子供でしたね。子供のときはいわゆる器用貧乏だったので、残念ですけど今でも続いているものはないんですよ。外で活発に遊んだり運動したりするよりは、そういうおとなしめの習い事ばかりやっていました。でも決して内気じゃなくて、どちらかというと生意気な子供だったんじゃないでしょうか(笑)。
―中学・高校時代
中学校では、部活でマンドリンを弾いていましたが、高校生のときは心理学研究会という地味な文科系に入っていました(笑)。あの頃はジャズやボサノヴァが好きだったので、よく聴いていましたね。地元に一軒だけジャズ喫茶があって、そこには結構足を運んでいたんですよ。不良の溜まり場みたいに世間からは思われていたのかもしれませんが、そんな雰囲気はなかったですよ。
―そこで友達とおしゃべりしたり、という感じですか?
昔のジャズ喫茶ってあまりおしゃべりできる雰囲気ではなかったですね。純粋に音楽を聴きに行くところで、しゃべったり騒いだりしてはいけないところだったんです。
―いつ医師になろうと思われたんですか?
父親が歯科医だったんですよ。うちの父は口腔衛生という部門が専門で、その分野で業績を残した人だったんです。昔の文部大臣賞とか厚生大臣賞とかを貰っていて、県の歯科医師会の会長を任されていたり、日本歯科医師会の専務理事をやっていたりして、そういう会のことに熱心な人でした。私は逆にそういう政治的なことにはあまり興味がなくて、どちらかというと技術的学術的なこと、矯正治療の資格をとったり、学会で発表したりという診療に近いところでがんばるほうが好きなんです。父親と私にはそういう違いはありますけれど歯科医になったのは、やっぱり父親の影響が大きいんだと思います。それと女性は手に職があったほうが、後々いいんじゃないかという考えもありました。今は女性でも色々な仕事がありますけれど、私たちのときは女性ができる仕事というのがあまり多くはなかったですからね。