

三重県生まれ、岐阜大学卒業、東京の眼科医院を経て昨年10月、たまプラーザに眼科中井医院を開業された中井義幸院長は、「東京の病院に勤務していた頃の患者さん達からのご要望が、この場所に開業した一番大きな理由です」と、心地よい三重弁で、飄々と話してくださいました。
(取材日2007年1月10日)
―子供の頃を話を聞かせてください
オタクでしたね。完璧なインドア派。電車が大好きで、それは小、中、高、大学までずっと引きずってました。子供の頃は夏休みとかに、関東の私鉄、小田急線とかね(笑)、今はなくなってしまいましたけど交通博物館に連れていってもらえるのがすごい楽しみでした。高校生になると、受験の頃、ちょっと頭がおかしくなってる頃ですね(笑)。逆に更にのめり込みまして。外に出る事ができなかったから、時刻表見たりしてね。救われましたね(笑)。
―晴れて大学に入ったら、思う存分鉄道を満喫されましたか?
これが、実際に入学したら、方向性がコロっと変わりまして、今度は音楽にはまりました。大学のアマチュアオーケストラに入りまして。入学の時のオリエンテーションで、新入生全員どこかのクラブには入らなければいけなかったんですが、運動は絶対ダメだし、出来そうなクラブで興味があったのがオーケストラしかなかった、という理由で入ったんですけれどね。楽しかったですねー。年に1回、全国の医学部の学生が集まる「全日本医科学生オーケストラフェスティバル」というのがありまして、東京のサントリーホールとかで演奏する機会があったんです。やっぱり全然音が違いましたね!感動したっていうか、もう舞い上がりすぎまして、あんまりよく覚えてないです(笑)。
―その頃にはもう眼科医を目指していらしたんですか?
父が眼科医をやってましたから、家業を継ぐっていう事は考えていましたが、決めたのは大学を卒業する年の秋くらい。卒業してから、専門が決まるんです。岐阜大学の医学部を卒業した後に、同じ大学の眼科に大学院生として入り、研修医をやりながら臨床の勉強をさせてもらいました。あの頃の勉強というのは、なんというか、もう二度とやりたくない(笑)。眼科も一応外科系なので、完全に職人の世界なんです。蹴られたり、立っとけ!って言われたり、ま、あれがなかったら今ごろもうダメになってると思うんですけど、やっている最中は、二度とやりたくなかった。
―辛い試練の時期を癒してくれたのはやっぱり電車と音楽?
ええもう。音楽は特に。今でもその時に聴いてた曲を聴きますと、「うわー」って思いますね。まあ、電車とオーケストラ、どちらも老後までやっているでしょうねえ(笑)。